2008年09月06日

雑司ヶ谷霊園〜黄昏て都電

バイク便をやっていた時の仲間であり、劇団旗揚げより何かと手伝ってもらっていた矢野さんの墓参りに行った。
お盆に行くのがベストだったのだけれど…、夏の公演真っ最中だったため行けなかった。

本当に久しぶりの矢野さんのお墓参りだ。
雑司ヶ谷霊園にはロッカー式のお墓がずら〜っと並んでいる。
矢野さんのお墓は3階の一番上…、13番である。

この暑さですぐ枯れてしまうのか、またお盆過ぎと言う時期もあり、殆ど生花の飾ってあるお墓はない…。
お墓の拭き掃除をして、タバコと線香でお参りをする。
線香たてに火のついたタバコをさすのだが、あっという間に根もとまで灰になる…。
不思議だなあ〜、タバコが大好きだった矢野さん…。
こんどは葉巻タイプのタバコを持って来ま〜す。喫煙

zoushigaya.jpg
雑司ヶ谷霊園

都電に揺られてJR大塚駅まで…、たった3区間だったが「くぅ〜もうやだ〜(悲しい顔)」なんだかたそがれてしまった。
都電に揺られるのも本当に久しぶりだったので、あのチリチン〜ごっ〜ダッシュ(走り出すさま)
なんだか胸に沁みるなぁ〜
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2008年07月22日

いやぁ〜!目まぐるしい日々だ〜!


16日、立澤君が計画を立ててくれた、カラオケ!(久しぶりに皆さん、発散)

昼稽古をやり出してから10日が経った…。
この10日間の目まぐるしかったこと…、まだまだこれから続くのかと思うと、体力が持つか心配である…。

制作は自宅でやる、稽古と制作、どちらのことを考えても気の休まる時はない…。

16日、予てより立澤君が皆の親睦のことを考え計画を立ててくれた「カラオケ」皆さん、とても素敵な歌声! 13号地では珍しく、ちょっと外で羽目を外す!

16日を最後に、稽古、稽古、制作、ご飯、稽古、稽古場でごろ寝、稽古、制作、ご飯、髪を切る、照明の小関さんを迎えに行く、稽古、稽古、制作、ご飯、稽古場でごろ寝、制作、衣裳を探しに行く、稽古、稽古、スタッフさん達にメール、メール、稽古、制作、制作、制作、制作…。

明日は衣裳の荒ちゃんが来てくれる。
荒ちゃん、宜しくお願い致しま〜す。

ニックネーム nari at 00:26| Comment(0) | 無題

2008年07月04日

浅草キッドさんと一緒に!!


井上ヤスミチさんの版画カレンダー7月

7月1日、本城ケイタ君から浅草キッドさんの伝説の本「お笑 男の星座」と深夜ラジオ番組「ビートニクラジオ」のテープを貸して貰う。

最初に2日、荒ちゃんとの待ち合わせに向かう電車で読んだ「お笑 男の星座」の序章で「猪木イズム」の中で早くも得体のしれない男の熱さを感じる。

私は格闘技、ことプロレスには全く興味がなかったのだが…、
ここでノックアウトされる…、高田延彦対ヒクソン・グレィシー戦での猪木の言葉。
それを真似た「パトラーツ」の石川社長のアレク対マルコ戦での言葉…。

浅草キッドさんはその時、ある雑誌の連載を引き受けるか迷っていたそう。
そのころ、一億総ナンシー(そのころ消しゴミ画家でコラムでとてもはやっていました!)化した素人にちょっと毛がはえているのは許せなかったそう…。
テレビ番組の茶化しや芸能人への上げ足取りが、一種のお家芸となっていた浅草キッドさん。芸能界での処世も、もう身につけていました。

二つの対戦での「猪木イズム」をきっかけに、「よ〜しやったろうじゃないか〜」っと。

「猪木」の言葉で男たちが動く。いつも格闘技を楽しめなかった私には理解は遠いところなのだが、今日稽古後、色々と本城ケイタ君に「猪木」のことを教えてもらう。


今日の昼過ぎまで制作をしながら聞いていた「ビートニクラジオ」も、ぶはっぶはっもんで、北野武さんと浅草キッドさんの迷いのない喋りが小気味よく…。

男と女は違うのかな〜と思いながら、「もしかしたら男の方が気持ちが外に向かっている分、気持ちが動き安い人間なのではないのか…?」と感じてしまう。。。。。


これはセリフを喋っている時私がいつも演出に注意されることで、「この台詞を素直に喋れば必ず気持ちがおっかけるようについてきて、そんな喋りにならないはず…」と…。

女は気持を作るのは上手だが、動かすのは苦手なのかもしれない(わたしだけ…?)

しばらく浅草キッドさんのの「お笑 男の星座」をよんで楽しんで、「ビートニクラジオ」で笑い転げよう…。






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2008年06月27日

天才と台詞覚え…。(日々の稽古の積み重ねから)

たとえば台所でみじん切りを(フードプロセッサーなしでやった場合)まな板一杯に作る。

鍋からこぼれるのが許せない私は慎重に、鍋に全てを入れる…。
(ただ単に片付け嫌なだけ?)
こぼれない…、「ほっ」胸を撫で下ろす。
得意である。理由は一つ、細かい野菜がそこらじゅうに散らばるのが嫌なだけ。

もう一つ得意なのが台詞覚え…、どんな台詞でも電車に30分乗っていると、すぐ覚える…。
作者の「…ね、…です、…だから」細かい語尾も集中して覚える…。
(本当は心の中でここの細かい部分は「 い〜!い〜! 」と癇癪起こしながら覚える)
でもどうにか覚える、…すぐ覚える…。)

これは長年培ったもの…。…昔は全然ダメだった!


うんと昔、現場に木内みどりさんとご一緒したことがある。
わたしが芝居の世界では子供と言って言い位のころである。
みどりさんは凄かった!稽古場では台本を外すことはなかったが…、
天才だった!本に書かれたことをやるのではなく、その場に起こったことにメチャクチャ敏感で、周りの人達もそれに感化され成り立ち、そしてその人たちの起こすことによって、みどりさんは動かされ…。あんな凄い現場は見たことがないっ!!

私もみどりさんのように成りたいとずっと思って芝居をやって来た。

「今回はセリフを覚えないぞ〜」、毎回公演が始まるたびに口癖のように言っていた!
それはみどりさんに成りたかったからだ…。

ずっぽり起こることに反応をして本を進めていく…。私の理想である。

でも私はある時鈍才の鈍才であることに気づく…。

やっぱり台詞を覚えて、覚えて消化してやっと人と対じ出来ることにきづく…。
人と対じして初めてスタート地点が解った解る気がする…。

鈍鈍才である。すっ〜と話の中に入れない…。
今ここで起こることを見逃している…。

鈍才ゆえに出来ること…、今少し解りかけてきた、今日このごろである…。


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2008年06月20日

ぶれない体…、演劇の力…。

昔、「演劇療法の会」とか「演劇治療」うんぬん…と言う劇団が数多あったと思う…。

今若者と芝居を作って行くにあたって、ぶれない体が如何に大切か!!日々考えている。
大声を出す…、大声を出してもぶれない体があれば…、しっかりと舞台で立っていれる。
その体があるからこそ、小さくふつうの喋りが出来るのではないか?
そんなことは私が芝居を始めた27年前、いやいやもっと前から現在の小劇場の先人、先生方には当たり前のことであって、その歴史の中で私は演劇を培って来たのだ。
訳も解らず、ロッポウを踏み、四股を踏んでダンダン床に足を叩きつけながら腰を固定して長台詞を機関銃のように口から放つ…。

今やっとその意味を感じている…。
こんな年齢になって…、でも演技をやっていく以上遅くはない…、今そんな毎日だ。
演劇をやり始めて、私はダメダメだめ子ちゃんだったが、今初心に帰り…、感謝!!

演劇療法の会とかの意味も今、なんとなくだが解りかけてきた…。
ちょっと突き詰めたいなぁ〜。
今の若者には「これ」が必要じゃないかしら?
おいぼれたおばさんも初心に帰ることにより、精神も随分変わって来たと思う…。
自分で思っているだけかしら…?
ちょっと突き詰めてみます!!

















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2008年06月03日

6月で思うこと…、(新転位・21の折込から帰って、華子ちゃんが来ていた。)



井上ヤスミチさんの版画カレンダー(6月)、お気に入りのカレンダーだ。

6月に入り早くも東京も梅雨入りしたが、この季節になると偏頭痛の季節だなあ〜と、少し憂鬱になってしまう。私自身のことではない、実母のことを考えるのだ。
「今日は寝込んでないだろうか?」「電話してみようかな?」と、雨音を聞きながら考えてしまう…。
実母の頭痛は私が物心ついたころから凄かった。いつも枕もとに洗面器…、または這うようにいざりながらトイレに駆け込む…。そのころの頭痛薬はピリン系だったので、特に胃もやられていたらしい…。
私には姉がいる、姉は未熟児で生まれ、母からすれば苦労をしたらしい…。だからではないが私は巨漢で生まれ実母を殺しかけた、出産後は長い入院…。

まるで梅図かずおの「蛇女」の絵と母の姿をだぶらせながら、「私のせいなのかな〜」それとも「中学校での教師をやめて、いやな慣れない商売をやっているせいなのかな〜」色々と原因を考えたりもしていたが、後になって、3歳のころから頭痛がひどくころころと転がっていたと教えられた。

実母の口癖は「死んだら終わりやで〜」
きっとあの頭痛の最中は死にたいぐらい苦しんでいるだろうから…、
その「死んだら終わりやで〜」はなんか重みあったなあ〜。


6月1日(日)、新転位・21の折込に行った。行く途中後ろから紺色のジャージを着た中学生に見える可愛い女の子が、ジュースをチュウチュウ飲みながらいたのは知っていたのだが、なんと光座まで一緒に入って来た。ちらしとお酒を下げた私に「重そうですね、持ちましょうか?」と言ってくれ驚いた!!若い!可愛い!一見中学生に見えたが19才位だろうか?

そうだ6月3日〜9日まで中野光座でやる新転位・21の公演『向日葵』は佐世保小六同級生殺害事件を<壊れてしまった私たちの家族の(現在)を描く新シリーズ>でやるんだ!!

期待に胸膨らませながら、いつ観に行こうかな?と帰ると姪っ子の華子ちゃんが来ていた。
華子ちゃんは19歳、14時から青戸に来ていたと言う…。風邪気味だった…。ちょっと遊びに来たのとは違うようだ…。
「何かあったの?」その一言が言えぬまま…、ギターの話ばかり聞いて、風邪気味だからと早く眠った華子ちゃん。朝も早くに学校があるからって行っちゃった…。
ごめんね〜、なにか悩みごとがあるなら言ってね、華子ちゃん…。

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2008年05月15日

『ああ、夢の島〜、そして13号地』


久しぶりに夢の島公園
に来た。
20年位前にバイク便の
バイトで、
毎日のようにバイクで
通過していた。

今日は京葉線「新木場駅」を降りて明治通に出た。

駅前は人は多いものの、明治通と公園を挟む歩道を歩いている人は殆どいない…。
ああ、この感覚…、不思議なこの感覚…。
首都高湾岸線とどの線も広くなる道に、トラックを中心に行きかう車はとても無機質になる。都内の道路とは全く違う、物を運ぶことに徹している。

この辺りの歩道は意外に坂がある。広い歩道に先の坂から向こう側が見えず…、
「私は今どこにいるのだろう…。」と不思議な感覚になるのだが、村上龍の「コインロッカーベイビーズ」の舞台のような所がこの辺りにありそうに思える…。

「夢の島」は1950年代からゴミ廃棄処分場にされていたが今はその面影はない、都埋立地14号地だ。
公園から駅に戻り「夢の島」交差点を右に回り、東雲を通過するとお台場、13号地になる。

15年以上前13号地が荒涼としていた。都の臨海副都心造成中だったが、中止になり工事も丁度ストップ…。人一人見かけない中で、ガ〜ン、ガ〜ンと建設中の工事現場の音が響いている裏で中止になった鉄屑がさびていく…。
「ああ〜、私は今どこにいるのだろう」と呟く。

私の所属する13号地は、まさにその13号地の風景から名前をとった。




 夢の島公園のなかも
 人は少ない。

 ねこちゃんは太ってる。













劇団サーカス劇場さん
のテントにやっと、
到着!

皆さんとても感じが良い!

どうも13号地の
チラシの折込、
ありがとう
ございました。



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2008年03月29日

ウンじゅ〜ウン歳!いけいけどんどん…の復讐

28日○○歳になったexclamation×2とても大っぴらには出来ない歳である。

「あ」っと言う間にこんな歳になるのだな〜と感心してしまう…。
『芝居』をやりだして四半世紀以上…、やっぱり実感するのは自分は世間知らずだなぁ〜。ふらふら
好きなことばかりやって来たから…、何かを我慢したり、社会常識的なことが、…欠如しているとも思う。…せめて子供でもいたら、社会と繋がる様な、自分でも自信が持てるようなことがありそうだが…。

今年に入って観た芝居は何故か高度経済成長時代の話が多かったが、世の中が一つに向かっていた時代だ。物を作れよexclamation増やせ〜exclamation、いけいけどんどんるんるんの時代である。私はそんな中生まれた…。雷
大人達は戦時中の貧しい幼年期、少年期、青年期を取り返したいとでも言うように…、豊かになろうと必死だった。
わけの分からない食品添加物の入った「お菓子」をヘラヘラと食べ…。
ドドメ色の企業優先の環境汚染が当り前の中、人体実験の様な公害を眼の中りにしながら…、家庭の中に電化製品がひとつ、ふたつと増え、その豊かさを、大人の威厳と捉えさせられて育ったのだ。
いつの間にか自分自身も物のように感じながら…。
いつか「自由に羽ばたきたい」と、すたこらサッサ〜ムードと逃げるように社会に出てみたものの…、そこで待ち受けていたのは急激な消費社会なのである…。もうやだ〜(悲しい顔)
我武者羅な高度成長時代に比べ、なんともアンニュイな時代で…。
「買うたらええやん〜」
「そんなもん捨てたらええやん〜」
そうして今はせっせとゴミを分別し、リサイクルを考え…、それが当り前の世界で、地球規模でものを考え…。
今はキチンと生きようと必死である…。

う〜ん眼鏡、どうみてもへんな時代を生きてきたな…。

誕生日晴れ自分のことを振り返りながら、これからの社会や私の出来ることを考えてみる…。わーい(嬉しい顔)
ニックネーム nari at 02:38| Comment(5) | 無題

2008年03月13日

自転車に乗って…、

一人でどこまでも行った…。映画館はもちろん劇場にも、いつも自転車だった。
『旧真空館』の芝居がお気に入りだった、役者さん達の体が芝居を通して迫ってくる。大きくなるのである、ぐわぁっと大きくなるのである。芝居終わって知り合いなどいないのに(時々、転位・21の先輩に会うこともあったが)、劇場に残ってにこにこと『旧真空館』の役者さん達が振舞ってくれたお酒を飲んで、上機嫌で自転車でアパートに帰った…。
ある雪の日、赤坂にある『転形劇場』の工房にも自転車で行った…。そうとうに大変な思いをしたと思うのだが、開場の時、北林谷江さんや有名人に見とれてしまい、「死の薔薇」だったが、芝居に観入ってしまい、自転車のことなどすっかり忘れてしまう。しんしんと降り積雪の中から傘を畳んで舞台上に入ってきた鈴木さんのシーンは忘れられないものとなる。…あの時は確か電車で帰った…。
『秘宝零番館』もかかさず観に行っていた。
『ブリキの自発団』もよく観に行った…。
中野から下北沢の道はあっと言う間だった…。

小劇場全盛期だった…。

近頃、等身大の役者さんが殆どなので
ちょっとおもしろくない…。
ニックネーム nari at 02:00| Comment(0) | 無題

2008年02月07日

京都から上京して…

中野にある稽古場近くの安アパートに住むことになった。
四畳半畳部屋、半畳キッチン、トイレ共同。
一万八千円、
京都のも高いのだが、やはり東京はその上を行っている…。

夜行バスで持てるだけの荷物をもって来た。
まだ蛍光灯がついてなく一日目は、ライターの火の明かりだけで過ごした。

蛍光灯と中古の自転車だけを買い、段ボールを家具にして過ごしているうちに…、少しずつ物が増えていく…。先輩達から不要なもの頂いたのだ。
寒くなりだした頃、先輩の藤井びんさんがこたつをくれる。
折りたたみこたつなので、中野から自転車で明大前まで取りに行く。
焼酎をごちそうになり、大きなこたつを自転車につけてニコニコ顔で自転車をこぐ…。
よく服をもらったのは栗山みちさんと田根楽子さん、みちさんとはサイズが違いすぎるので、なぜか山崎哲さんのジーパンをもらい履いていた。楽子さんはよく引っ越しをするので、その引越しの手伝いがてら色々な物をもらった。

小劇場の先輩役者さん達は、よく新人を可愛がり「もったいない」を地で行く、人間らしい人達だった。

そんな劇団で夢と希望で胸を膨らませながら、はりきって生活をしていたのだ…。

26年前のことである…。
ニックネーム nari at 22:12| Comment(0) | 無題

2008年02月05日

ガァ〜でパァ〜の極端な…

性格だった、程々と言うことを知らない。
芝居のために変わったアルバイトは、いま思い出しただけでも20ヶ所を超える。ガァ〜と働きパァ〜と公演のために使う、そんな生活を四半世紀も続けていた。
上京と同時に始めた朝5時からのウエイトレス、公演が終わり工事人さん達に電気部品の販売、稽古が終ってから夜11時から朝5時までのスナック嬢、あるデパートでのお好み食堂のウエイトレス、配膳会ではいろいろな所のお運びさん、洗い場、調理補助をやった、サンシャイン展望階での飴の販売、中華屋さんのアルバイト、血液検査でのキーパンチャー、バイク便、警備員、カード会社のキーパンチャー、レンズ会社のキーパンチャー、テレアポ、ビルメンテナンスの会社の事務、お掃除、ets…。今は居酒屋で毎日のお掃除とままさんのお手伝いで落ち着いている。
鍵も預けられて、一人気ままにお掃除する…。
…が、気ままなのはいいが時々やってくるままさんとおしゃべりする位で、吐き出し口がない…。

そう言うわけで日常の色々をブログで吐き出すため、『13号地〜稽古場日記』の日常2件を引き連れやって来ました。

宜しくお願い致します。
ニックネーム nari at 03:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 無題